祭エンジンにたどり着いたきっかけ
祭をもっとよいものにするにはどうすればよいのか。
次の世代に祭を届けるにはどうすればよいのか。
多くの祭に訪れ、海外までお神輿を運び、地元の神社の祖父の神輿をなんとか毎年担ぎ続けなければと日々模索しているうちに、「祭の1日は残りの364日で出来ている」ということに気が付きました。なぜ先人は365日の日常から1日を分離し、ハレとケに分けたのかの意味について考えていくきっかけとなりました。
祭エンジンは、ケの日を通じてハレの日を応援する仕組みです。それまでの私は「祭の日をどうするか」についての活動を続けて来ました。一年に一度、祭の日にその場所を訪れ一生懸命に神輿を担げば、その一日を華やかにすることは出来ます。しかし、高齢化や過疎化が進んでいる地域は毎年人口が減少しており、今回のようなコロナの影響により祭りが中止になってしまうと、基盤が失われてしまうことになってしまいます。
確かに祭の日、私たちのような若者が訪れ、神輿を盛り上げて地域の若者と交流し、最高に楽しい一日を作ることが出来れば地域の雰囲気を明るくすることが出来ます。しかし、一年に一度しかないチャンスでは少なすぎ、祭を行う地域の衰退のスピードに追いつかないのです。地域を維持できなくなってしまえば、祭はおろか神社を維持することが出来なくなってしまいます。
数百年間先人によって守られて来た神社が無くなってしまえば、祭はおろか日本人の根幹にあるアイデンティティを失ってしまうことにもなりかねません。そのためには、新しい視点での取り組みが必要だと考えました。
祭が無い日、穏やかな日常の時間が里に流れています
祭エンジンで実現したい世界
祭エンジンは、神社や祭を応援するためのふるさと納税のような仕組みです。
今まで私が取り組んで来たように、祭を応援する方法は当日現地へと赴き、一緒に神輿を担いだり参加して盛り上げて行く方法がありましたが、それ以外の方法をあまり見つけることが出来ませんでした。その地域がどんなに好きでも、またその祭や神社を応援したくても、具体的な手段が無かったのです。
今までたくさんの祭を訪れ、声枯れるまで叫び、必死に神輿を担ぎ続けて来ました。各祭には、先人が築き上げて来た伝統と、両親や祖父母が大好きだった記憶と、毎年繰り返される何よりの楽しみが祭を軸に残されており、心から祭を愛し、真剣に取り組む人たちがいました。私たちを招いてくれたのもそういった熱い思いの先輩達だし、地域のことを真剣に考え、ふるさとを愛し、あらゆる地域活動に取り組み、活性化させようと情熱を傾けていました。
祭エンジンは、彼らの日常である仕事や活動を応援し、さらに神社や祭に還元することを目的としています。そういった構造は、かつてはムラ単位のコミュニティで成立していました。地域には必ず神社があり、地域には様々な産業があって、地域住民はお互いに協力し合いながら神社を守り続けて来ました。しかし、時代が進むにつれて社会構造は変化し、様々な企業やサービスが外部から入ってきて、神社を守るべき地域産業がだんだんと疲弊してしまいました。
そして、いつしか神社へは経済が流れなくなってしまい、神職も専業で行えない、修復することも出来ない、祭の運営費が賄えないなど多くの問題が起きて来てしまいました。昨今、多くの災害が起きるようになり、神社社殿への被害も見受けられるようになって来ました。もしふるさとの神社に被害があれば、再建するほどのお金が集まるのか、不安があります。
祭を守るためには神社を守らなければいけない、神社を守るためには地域産業を守らなければいけない。
ゆかりの無い神社や行ったことのない祭を直接応援することは難しいかもしれないけれど、地方の美味しいものや、自慢の逸品、素敵なサービスなどを利用することが祭や神社を応援することにつながるなら、きっと多くの問題を解決する糸口となるはずです。
必死に神輿を担ぎ続けて来た。今度は次の段階へ
祭の観光化では解決できない問題
コロナの前、祭継続の一つの手段としてその観光化がすすめられて来ました。地域の伝統である祭を観光資源と捉え、オリンピックを見据えたインバウンド施策が各地域で見られます。確かに、それも一つの手段でしょう。広く一般に、さらには外国人の観光客などへも門戸を開き、誰でも参加できるようにするサービスをツアー化し、祭体験ツアーなどが企画されていました。しかし、全てのお祭りに適用することは出来ません。この方法が唯一の解決方法であるならば、観光客を呼び込めない祭を活性化する手段が無く、小さな集落ごとに行われていた祭は音もなく消えて行ってしまいます。
出来るだけ多くの祭を活性化したい、地方の小さな集落に残る、ささやかでも大切に守られて来たお祭りを次世代につなげたい。そのためには、他の視点と手段が必要です。私はまず、祭の本質とは何かを考えて見ました。
そもそも、祭とは何のために行われて来たのかを調べてみると諸説あるのですが、「報告祭」という意味合いがあったようです。日本人の歴史において稲は極めて重要な作物でした。稲の収穫を左右する天気、水、温度など自然に任せる要素がたくさんあり、その全てを神様が司っていると考えられていました。主に秋祭りでは、初穂、と呼ぶ新米を用意し神に捧げ、今年も良い米が取れましたという報告を行なったそうです。そういった考え方や風習は現在でももちろん残っており、毎年勤労感謝の日とされている宮中での新嘗祭はそういった意味があります。お神輿を含めた祭典行事は、その日を賑わせる行事であり、本来の目的を見直してみますと、氏神様と氏子の関係性において成り立っていることがわかります。
祭を外に開き、観光資源として利用していくことは祭本来の目的や本質から少し外れてしまっていることがわかります。その土地に生活している人たちが、古くよりその土地を守っている氏神様に一年間の成果を報告し、感謝の気持ちで賑わうことが本質ならば、外から外国人や観光客を集めるのではなく、その地域をもっと活性させ、雇用や移住者を増やしていかなければ祭はおろか神社の維持も不可能になってしまいます。
祭の日を一番楽しみにしていて、最高の思い出を作るべきは地元の人達で、彼らは祭も神社も地域も守っていかなければならない役割を背負っています。祭エンジンは彼らを応援します。
どの地域にも地元の祭を本気で愛する先輩たちがいます
守りたい日本人のこころ
日本人のこころ、という言葉を思い浮かべると、極めて曖昧な言葉であることに気付きます。
私は平成26年(2014年)に祖父が製作したお神輿をフランスへと輸送し、現在までにヨーロッパではフランス、ドイツ、ポーランド、リトアニア、スロベニア、ブルガリアと6カ国15回以上の渡御を行って来ました。毎度神職の方に同行していただき、神輿渡御の前に降神の儀という神事を行なっていただくのですが、参加者の方々はいつも宗教や習慣の違う国で、静粛に、進行に合わせ頭を下げてくれます。日本人、そして日本はヨーロッパの国々の人達の強い興味を引いています。しかしそれだけでなく、日本と違って歴史上様々な民族が入り混じって来た欧州では、民族間の宗教観、思想、習慣の違いを理解しようとしてくれます。
人々にとっての信仰はアンタッチャブルなもので、人が祈りを捧げる姿は尊いものとして扱っています。私たちが日本で暮らしているとあまり意識することはないけれど、きっとその習慣や文化、生活の中に日本人独特の感性、こころがあるはずです。その正体とは一体なんなのかを探してみると、私がお神輿を一生懸命に担いでいたり、神社清掃を行ったりしている際、とても豊かな気持ちになっていることに気がつきました。
私はふるさとの祭が大好きです。色んな祭に参加して来たけれど、どんな祭よりも楽しく、特別です。それはたくさんの思いと記憶があるからだと考えます。幼い頃から祖父は毎年祭の日は誰よりキラキラしていて、祖父の下にはたくさんの人が集まり、大きく重いお神輿を楽しそうに担いでいました。子供の頃、神社へ行けばいつも誰かが遊んでいて、すぐに友達になることが出来ました。楽しい思い出がたくさんあります。神輿を担いでいたり清掃をしたりすることで感じる豊かさは、そんな記憶に触れることが出来るからだと思います。
私以外の誰かも大切にして来た場所を、大切にしてきた日を大切にすることが出来る。そこに大きな喜びを感じるし、次の世代、もっと次の世代へとつながって行って欲しい。
日本にはたくさんの神社があり、それぞれの地域にそれぞれのお祭があります。その一つ一つを現代に生きる我々がさらに大切にして、より良いものとしてまた次の世代に渡していく。日本のひとつひとつの伝統はそうやって受け継がれて来たような気がします。先人より渡された襷を胸に、真っ当に時代を生き抜いて次の世代に渡していく。
永い年月幾万の人の想いが詰まっているからこそ計り知れない価値があります。その伝統をさらに大切に扱っていくこと。その慶びと誇りこそが日本人のこころなのではないかと考えています。
リトアニアにて。渡御前の神事で頭を下げるリトアニアの方々。
誰も知らずに消えていってしまう祭をなんとかしたい
どんなに歴史ある祭でも、どんなに意味深い伝統でも、それを続ける理由がなければ無くなってしまいます。数百年続く伝統の灯の継続は、今を生きる我々の選択にかかっています。
日本全国には、様々な祭があります。日本各地から数十万人の人が集まり、露天がたくさん立ち並び、活気に溢れた祭もあるでしょう。
しかし、小さな集落の小さな祭は、誰にも知られることなく知らないうちに無くなってしまうこともあるのです。数百年前、その集落に住む先人がその神社を祀りはじめ、何代も守り続けた伝統です。その伝統の終末も、その住民が選択する権利があります。しかしどうでしょう。伝統を守り続けた誇りと、守り続けることが出来なかった悔しさ。私のふるさとのお祭りも祖父の代より引き継ぎましたが、私の代で無くなってしまったとしたらと想像すると、恐ろしくてたまりません。
地方のお祭は、その地域の人達にとっても本当に特別な日で、どんどんと住民が便利な都市へと流出してしまう中でもその場所に残り、生活していく覚悟は本気です。私は今までそういった覚悟を決めた彼らを現地に行き、祭の日必死になって神輿を担いで応援して来ましたが、祭の主役はそこに住む彼らであり、里をこれからも守っていかなければいく役割があります。
そんな覚悟と役割を背負った方々を応援したい。
祭の日だけそこへ行き、神輿を担ぐのではなくて、神社や祭がずっと続いていくような仕組みを考えたい。それは、他地域の祭を応援したいという思いだけではなく、私のふるさとの祭の継続のためにも必要です。
世界中どこへ行っても興味を持ってくれる日本文化の根幹にあるのは、2千年を超える伝統です。神社や祭にはそのエッセンスが詰まっており、日本人だけでなく人類の宝とも言える風景を、地域の人だけでなく日本人みんなで力を合わせて守っていきたい。
現代のテクノロジーを使えば、必ずそれは実現できると信じています。
260年続いた伝統の祭も、高齢化により中止が決定。
この方の本当に楽しそうな顔はもう見ることが出来ないのでしょうか
祭エンジンが全国の祭をつなぐインフラになれば
最後に、私が描く祭エンジンの未来を想像してみようと思います。
祭エンジンは、祭を通じてご縁がつながった、その地域を愛し、その祭を愛している人を応援し、その地域の美味しい産品や美しい伝統工芸品、素敵なサービスなどを利用することで売り上げの一部が神社や祭の母体に寄付され、地域産業が活性化するとともに神社や祭をどこからでも応援することが出来る仕組みです。
地域産業を活性化するということは、それぞれの日常を応援するということです。神社へ感謝の気持ちを持って貢献するということは、神社から”おかげ”を頂いた結果です。少し前までは神社は地域の中心的な役割を担っており、地域の方々の力で維持されて来ました。古来のクラウドファンディングのような形で境内の整備や社殿の補修などがなされて来たし、祭の運営、神社の管理においても地域の支えが元になっています。
それは現在でも変わりませんが、地方では現在過疎化や少子高齢化が進み神社の維持まで手が回らない現状が多くあります。神職が神社の管理だけでは生活できないことも多いし、社殿の修復などもされないままの神社も数多くあります。現代のテクノロジーの力を駆使し、地域産業を応援し合う仕組みを、神社や祭の”おかげ“として作る祭エンジンの仕組みが広がり、血液の流れが滞ってしまった毛細血管にもう一度血液が巡るように、お金やエネルギーを再循環させたいと考えています。
たくさんの地域が綿密にネットワーク化し、その場所に住んでいなくてもその場所や神社の応援者になっていけば、神社に何かあっても、支え合うことが出来るし、地域に眠っているたくさんの宝物が巡り始めると考えます。地域の小さなお祭りも、地域に眠る良いものも、まだまだ知られていません。しかし祭を通じて、神社を通じてもっともっと広めていき、日本全体で支えていける構造を作ることが出来れば次世代へ祭を届けるというミッションも達成出来ると考えています。
さらに私たちは、毎年ヨーロッパでの神輿渡御を行っているため、日本の素晴らしさを海外へも広めていきたいと考えています。祭や神社を人類の宝と捉え、日本人だけでなく世界中の仲間たちで支えていくような未来を作ることが出来ればさらに力強く、次世代へ届けていくことが出来ると思います。
I=地域産業、C=住民。
地方の神社や祭へお金やエネルギーを届けていく仕組みです。