祭を未来へつなげるために僕が出来ること

祭MAGAZINE

はじめまして。宮田宣也です。

僕は、この祭エンジンのプロジェクト代表を務めています。また、一般社団法人明日襷(アシタスキ)の代表理事として、神輿や神棚の修理・製作を行っています。これまで、毎年全国50ヶ所以上の地域の祭礼支援や、ヨーロッパでの神輿渡御などにより神輿や祭の文化の活性化に取り組んできました。

今年2020年はコロナ禍により、春から現在にかけてほとんどのお祭りにおいて神輿渡御が中止となり、さびしい一年となっています。例年の祭に忙しい日々を思い返しながら、改めて「祭」ってなんだろう、と考える機会にもなりました。

祭は、地域に根ざしている大切な日本文化であり、このままだと今後10-15年でなくなっていく場所が多いことが予想されます。何百年も残ってきた、先人が命がけで守ってきた、祭文化を未来につなげるために「今」出来ることはないか、考え抜き、たどり着いた希望の1つが祭エンジンです。

今日は、僕の過去の経験から祭エンジンにかける想いを書いていきたいと思います。

普段は、お神輿や神棚の仕事をしています。

木工の道具と言えば、何を思い浮かべるでしょうか?

ノコギリ、ノミ、カンナ・・・などでしょうか。

大工さんは多彩な道具を駆使して自在に木でものづくりをしている。そんなイメージがあると思います。しかし実は、そういった道具はだんだんと現場から消えていっています。道具はどんどんと機械化し、手による加工は時間もかかるし、精度を出すには熟練が必要だからです。

昔ながらの手道具でものづくりをする人は現在ではとても少なくなってしまいました。効率化が進んでいくことは素晴らしいことですが、伝統的な技術や道具を作る職人は減る一方となっています。僕の仕事では、今でも100種類以上の手道具を使います。一つ一つの手入れや調整は手間がかかりますが、神輿職人であった祖父より引き継いだ大切なものです。

お神輿は、日本の伝統工芸の総合芸術とも言える逸品で、地域や職人によって様々な形がありますが、金工、木工、漆工、彫刻など多くの職人が関わり合いながら作り上げていきます。僕はお神輿の修復を主に行っていますが、100年以上前の職人が手がけたものを少しずつ紐解いていくと、その技術の繊細さや、お祭りや神社に対する思いなどが伝わってきます。

どんなに古くなっても、お神輿の躯体が残っている限り修復は可能です。美しく生まれ変わったお神輿が神社に掲げられる時、そこにいるたくさんの方の表情がキラキラしている瞬間は何にも代えがたいものです。お祭りの日、一年に一度神様をのせて街を巡るものだからこそ、一刀一刀ノミを入れ、一枚一枚カンナをかけていく手には思いがこもります。

また次の100年後に手がける職人に思いが伝わりますように。

修復前の神輿を点検している様子。150年以上前の息吹を見つめます。

木工・金工・漆工のチームで修復をすすめていきます

祭の楽しさを伝えたい。

僕は、祭が大好きです。祖父が人生かけて臨んだお神輿はさらに特別です。

幼い頃、祭の前夜にはたくさんの灯が神社に集まって、露店の匂いやお囃子の音は遺伝子の記憶として刻まれています。祭の朝には半纏を着たカッコいい人たちが祖父とお神輿の下に集まり、勇壮に担ぎ上げる様子をドキドキしながら眺めていたのを覚えています。

お神輿を初めて担いだ日、とても重くて肩が痛かった日の事や、祖父や祖母がとても嬉しそうにしていた事は大切な思い出です。一年に一度、楽しくて、嬉しくて、最高にワクワクする日が幼い頃からのお祭りの記憶でした。

そんな素晴らしいお祭りは、日本全国いろんな場所にあります。他のお祭りも見てみたい、たくさんのお神輿を担いでみたい、そんな思いから他の地域のお祭りに参加するようになりました。

どんな地域にもお祭りを本気で愛する人たちがいて、お祭りの話をすれば表情が一気に明るくなります。何て素晴らしい文化なんだろう!日本は何て素晴らしい国なんだろう!何度も感銘を受けました。

しかし一方で、地方には深刻な問題もあります。

現代社会では、地方から都市へと人口流出が進み、少子高齢化、後継者の不足などからお祭りの維持継続が難しくなっている現状もありました。このままでは失われてしまう風景がたくさんあることに気付き、お神輿の担ぎ手として、運営の手伝いとして、様々なお祭りを応援させていただくことにしました。

そうやってがむしゃらに様々な地域のお神輿を担いだり、多くの地域を回ったりしているうちに僕や仲間たちの一生懸命はいつしか地域の若者たちにも伝わり、もっと大切にしていかなければという雰囲気に少しずつ変化して来ているようにも感じます。

また、海外での神輿渡御も積極的に行っています。

2014年、祖父が製作したお神輿はフランスへと渡り、現在までにフランス、ドイツ、ポーランド、リトアニア、スロベニア、ブルガリアにて渡御が行われました。

海外での神輿渡御は現地の日本大使館や国内の神職と相談し合い、たくさんの現地の仲間たちと協力しながら各場所で実行しています。

お神輿を愛し続ける豊かな表情が各地域に残っています

ベルリンで美しく担ぎ上げられたお神輿。海を越えて日本のこころが伝わります

お神輿に人生をかけた祖父から引き継いだ役割。

僕の祖父は、神輿職人でした。祖父が作ったお神輿は今でも僕の故郷の神社に納められ、一年に一度お祭りの日に担ぎ上げられます。

お神輿の製作だけでは無く、戦後途絶えてしまっていた場所のお祭りを復活させるため尽力し続けた祖父は、まさに人生をかけてお神輿に臨んだ人物でした。

平成23年(2011年)、祖父は亡くなりました。地元の祭りをキャプテンとして率いて来た祖父の死は、里の人たちに衝撃を与え、もう神輿を上げる事は出来ないかも知れないとの雰囲気になってしまったのです。僕は初めてお祭りが無くなってしまうかもしれない恐怖に直面しました。

祖父が命をかけて臨んだお神輿を途絶えさせてはいけない。

祖父のような日本人がいて、今の文化が残っていることを伝え続けていかなければいけない。

僕は強く思ったのです。きっとそれは僕が頂いた今世の役割で、とにかく全うするために努力を重ね続けることを決意しました。

お神輿に人生を捧げた祖父、鐘司。彼の情熱があったから今でもお祭りは続いています

大好きな祖父のお神輿を担ぎ続けていく覚悟は出来ています

人生を変えた東日本大震災後の祭。

東日本大震災が、僕の神輿に関わる人生を大きく変化させました。

当時僕は学生で、茨城の大学院に通っていましたが震災の日、激烈な揺れが何度も襲ってきて立っているのもやっとでした。大学施設含め周辺地域はほとんど停電、ガスや水道などのライフラインも間も無く使用できなくなりました。

僕は震災ボランティアとして、自転車に乗り北へ向かったのです。被災地では様々な出会いがありました。住民の人も、ボランティアの人も皆必死です。何度も帰ろうと思いましたが、必要としてくれていた人もいたので数ヶ月滞在することとなりました。

そこでたまたま出会ったのが石巻市雄勝町という場所です。

「日本一美しい漁村」と呼ばれていたこの場所は震災により大きなダメージを受け、住民も減り、街も壊滅してしまいました。

しかし祭があった。

多くのものを失ってしまったけれど、もう一度立ち上がろう。もう一度祭りをやろう。

住民が立ち上がりまた一つになっていく姿と、ひとりひとりの心の中にある祭りへの情熱に僕はただただ感銘を受けました。震災から2年間上げることが出来なかったお神輿をもう一度。

平成25年、震災から3年目にお神輿が上がった日のことを僕は忘れられません。多くの人が涙を流しながらお神輿に向かって手を合わせていました。お神輿の力、お祭りの力。この伝統を絶やしてはいけないと、明日へつなぐ未来の襷、という意味を込めて明日襷(アシタスキ)という活動が始まったのです。

まだ復興商店街が出来て間もない頃、雄勝の方と担ぎ上げた御輿は特別でした

震災後初めてお神輿が上がった白銀神社のお祭りの日は、桜が綺麗に咲いていました

祭りとは、約束を守る日

あなたにとって祭りとは。何度も立ち向かった問いです。

全国どこへ行ってもそれぞれの祭があって、本気で愛している人たちがいる。僕にとって祭とは何なのだろう。僕はどんな思いで祭に向かってきたのだろう。ひたすらに向きあった日があったことを覚えています。

そして行き着いたのは、僕にとって祭りとは、約束を守る日であるということです。

お祭りの日、お神輿が終わると一緒に担いだ仲間から「また、来年ね」と言われることがあります。一年後、もう一度会おう。もう一度神輿を担ごう。それは、そこにいるみんなと、その日を大切に守ってきてくれたご先祖さまとの約束です。それぞれの毎日があるけれど、その日をまた必ずもう一度迎えよう。そんな思いで僕は祭の日を迎えています。

来年また必ず共に神輿を上げようと固く握手を交わします

先人が伝え続けてきたハレとケの構造

祭は通常一年に一度だけ行われます。僕は亡くなった祖父から引き継いだ地元の祭りをもっとよくするためには、もっと盛り上げていくためにはどうすればよいのか試行錯誤していました。

まず、お神輿を上げるためにはたくさんの人の協力が必要です。祖父が残した巨大なお神輿は1トンを超え、100人以上の担ぎ手が最低でも必要となって来ます。そのために、まずは多くの場所へ訪れ、多くの仲間を増やしました。他の祭りを応援すれば、祖父の神輿も担ぎに来てくれる。

神輿が上がる日、たくさんの人が参加してくれるようになりました。

しかし、他の場所ではそうはいきません。あくまでお祭りは氏神様と氏子の関係の下行われています。どんなに人を集めても、地域が衰退してしまっては人口も減り、祭りを行うことも、いつか神社を維持することも出来なくなってしまいます。お祭りをよくするために必要なのは祭の1日をどうするかというアイデアじゃない、残りの364日、つまりケの日をどう過ごすかにかかっているんだと気付くことが出来たのです。

陰と陽、光と影、太陽と月があるように、祭を背景にした我々日本人が見出し、伝え続けて来た知恵が、ハレとケという二面性を習慣の中に取り入れるということだったのではないか。素晴らしい祭は、充実した日常を送るために行われ、仲間たちと普段から絆を深め、地域を大切にし、活性化させることでよりよい祭を迎えることが出来る。そんな相関性があれば、らせん階段を登るようにハレの日もケの日も充実していくのではないかと仮説を立てました。

お祭りが無い日でもいつでも神社は静かに佇んでいます

今、祭りのために出来る2つのこと

 1.神社清掃

昨年、台風の影響により神輿渡御が中止となってしまいました。数日前までの雨予報、早すぎた判断により連絡がまわり、やむなく中止。皮肉なことにだんだんと天気予報は変化して当日はこの上ない快晴の下、神輿だけが悲しく佇んでいました。

僕はとても悔しくて、どうしてこんなことになってしまったのか深く考えました。全てをかけて臨んだ日が簡単に失われてしまうことに絶望し、お神輿への関わり方が正しかったのか、何度も、何度も自分自身に問い直しました。

そこから、僕は償いの気持ちで神社清掃を始めました。精一杯やって来たつもりでも、まだ出来ることはある。それなら、清掃することなら今すぐにでも出来る。そう思ってみると、神社には台風によって折れてしまった枝や落ち葉が雑然と積み上げられていることに気付きました。

それを少しずつ片付けてみると、積み重なった枝葉の下にはたくさんの水仙が生えていました。

お祭が無くても、台風が来ようとも、上にたくさんのゴミが積み重ねられようとも水仙は春に向けてその命の鼓動を続けていたのです。僕は大きな希望を感じました。

この花を咲かせてみたい、神社を訪れるたくさんの人に見て欲しい。

夢中になってゴミを片付けると、次の月に掃除に訪れた時には満開の水仙が花開いてくれていました。「とてもきれいに咲いていたね」祖母にそう言ってもらえた時、救われた思いでした。

お神輿は上がらなかったけれど、祭のために出来ることがある。その事実は僕を勇気づけてくれました。神社清掃は正にケの日の振る舞いです。月に一度の清掃活動はだんだんと広がり、約一年経つとたくさんのメンバーが参加してくれるようになって、神社も見違えるようにきれいになりました。

今年もコロナ禍によりお神輿を上げることは出来なかったけれど、次回お神輿が上がる日は、今までよりもずっと素晴らしい日になることを確信しています。清掃を続けて来たメンバーもその日を一緒に楽しみにしてくれています。

ゴミの下に埋もれていたのに満開の花を咲かせてくれました

いつも神社清掃の日にはたくさんの仲間が集まって来てくれます

2.祭エンジン

地方の一つ一つの祭を応援する方法はないか。ずっと考えていました。

全国50ヶ所を超える様々な地域のお祭りに参加し、応援して来ましたがこれ以上増やしていくことは難しく、根本的な解決にはなりません。さらに言えば、祭の本質は氏子と氏神様の関係の下にあります。いくら祭の日だけに外部から人を呼び、神輿を担いでも本質に近づいていない以上、僕の故郷の祭と同様に必ず問題は起きて来ます。

今を乗り越えれば良いのでは無く、これからさらに100年続く祭の在り方を考えなければならない。そのためにたどり着いた仕組みが「祭エンジン」です。

僕が訪れた各地域には、祭を本気で愛する人たちがいました。彼らは祭を愛すると同時に、故郷を愛しています。

祭エンジンは彼らの日常を応援する仕組みで、ふるさと納税のような役割をします。祭の日、その日を誰より盛り上げるエースでも、残りの364日は地元に根差し様々な仕事をしながら地域に関わっています。彼らの商売やサービスを他の地域からも利用することが出来、その売り上げの10%が地域の神社に寄付されるという仕組みです。

祭の当日応援に行けなくても、地域の方を応援することが出来、さらにはその人が本気で愛する神社や祭を応援することが出来ます。365日をハレの日とケの日に分割することで歴史を刻んで来た日本人の知恵。

地域には神社があって、神社を支える地域産業があり、そこに住む人たちがいる。豊かに巡っていたエネルギーが届かなくなってしまった場所にもう一度血液を送り込み、日本人の、いや人類の宝物ともいえる祭や神社を次世代へ届けていきたいと思っています。

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