当たり前に使っている「祭」という言葉の起源とその意味とは?

祭MAGAZINE

祭エンジン代表の宮田です。

コロナ禍により今年も全国の祭において自粛するところが多く、いつの日か再びできる日を心待ちにしています。

このような状況になって祭のことを改めて考える機会が増えていたのですが、皆さんは「祭」という言葉は、どうやって生まれたのかご存知でしたか。
長い歴史の中で、日本人は「祭」という言葉をどのように扱い、どのような意味で使われてきたのか。

当たり前のように普段使っている言葉ですが、言葉の起源や意味についてきちんと考えることってなかなか無いですよね。

そこで今回は「祭」という言葉の起源と意味について紹介していきます。

祭の語源は「まつ」

祭の語源とされるのは、「まつ」という言葉です。

「まつ」「まち」というのは、「守つ」と書かれ、神慮(神の考え・意向)を表現する意味として使われていました。

例えば、大嘗祭(だいじょうさい)で使用される新米をどの地方の田のものにするか決めるために行われる亀卜(きぼく)という亀の甲羅を熱して行う儀式がありますが、亀甲に現れたその形を「卜象(うらかた)」と言います。

その卜象のことを「まち」というのは、亀甲に現れたその模様こそが神意の現れ、神のお告げと考えられたからでしょう。

※大嘗祭とは、天皇陛下が即位後に初めて行う新嘗祭(にいなめさい)のことです。
近年では、2019年11月に天皇陛下による大嘗祭が行われました。
新嘗祭とは、毎年11月23日(勤労感謝の日)に宮中で行われる行事で、天皇陛下が新穀を神に供え、また自らも召し上がる行事です。

亀甲に卜象(うらかた)の紋

「まつ」が変化し、「まつる」「またす」へ

「まつ」を語源として変化して生まれた二つの言葉があります。
それが、「まつる」「またす」という言葉です。

私は、まつる・またすといふ言葉は、対句をなして居て、自ら為る事をまつると謂ひ、人をして為さしむる事をば、またすと謂ふのであると見て居る。

ー折口信夫 “「大嘗祭の本義」”

ここで、民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)は、「まつる」という言葉は自ら行うこと、「またす」という言葉は誰かにやらせること、であって対をなす言葉であると言っています。

「まつ」というもともとの言葉が変化し、対をなす二つの言葉が出来ていることがわかります。
ここに、「まつる」という言葉の起源があります。

かつての「祭」の意味は、神のお告げを伝える儀式

ここでまた、折口信夫の言葉を引用します。

“昔は、神の威力ある詞を精霊に言ひ聞かせると、詞の威力で、言ふ通りの結果を生じて来る、と信じて居た。此土地の精霊は、神の詞を伝へられると、其とほりにせねばならぬのである。此が、まつるといふ事で、又食国(ヲスクニ)のまつりごとである。”

“神又は天子様の仰せを伝へる事が、第一義である。処が、天子様は、天つ神の詞を伝へるし、又天子様のお詞を伝へ申す人がある。(中略)かうした人々の事を、御言持(ミコトモチ)といふ。此意味で、天子様も御言持である。即、神の詞を伝達する、といふ意味である。

ー折口信夫 “「大嘗祭の本義」”

かつて、神の言葉が精霊に伝わると、その通りになると信じられていました。

神と人との関係の中で、神と精霊、神と人の間に入り、神の言葉を伝える人がいます。それを「御言持(みこともち)」と言います。

つまり、「まつる」という言葉の元々の意味は、神の言葉・お告げを意味する「まち」を知らせる、伝えることを意味していました。

このことから、かつての祭とは、御言持(みこともち)と言われる人が神様からお告げを受け取り、それを呪文のような言葉で人や精霊に伝える儀式でした。

しかしこの形は、現在僕らが行なっている祭とは異なることがわかります。

なぜなら元々の意味での祭のベクトルは神様から人へ向いていますが、現在の祭は人から神様へ向いており、方向が逆だということです。

「政(まつりごと)」と「祭(まつり)」の意味

このことについても、折口信夫は以下のように述べています。

“私は、祭政一致といふ事は、まつりごとが先で、其まつりごとの結果の報告祭が、まつりであると考へて居る。”

ー折口信夫 “「大嘗祭の本義」”

政という字は「まつりごと」と読みます。祭は「まつり」ですね。

祭政一致(さいせいいっち)というのは、一般的には宗教と政治が一体化していることを意味していますが、大変興味深いことに折口の考えでは、単純に祭=宗教、政=政治ではないようです。

先に述べた「まつる」という言葉、つまり神の言葉を精霊や人々に伝え、土地に恵みをもたらすことが「政(まつりごと)」であり、その報告を行うことを「祭(まつり)」であると述べているのです。

新嘗祭を例にとってみれば、一年に一度、五穀豊穣を神に報告するといった性質があることがわかります。

※五穀豊穣とは、五穀は五種類の穀物のことで、日本では米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)(一説によっては稗(ひえ))のことです。豊穣は穀物が豊かに実ることです。

「祭」という言葉の起源

以上のことをまとめると、古来より人と神様、さらには自然の精霊の関係性が強く意識されており、神意・お告げのことを「まち」と呼びました。

その「まち」を伝える人のことを御言持(みこともち)と言い、その言葉を伝えることを「まつる」と言っていました。

「まつる」ことで大地の恵みを頂き、一年の繁栄をもたらすことを「政(まつりごと)」、そしてまた、その報告を神様に行うことを「祭(まつり)」と言います。

このようにして「祭」という言葉が生まれ、使われるようになったと折口信夫は述べています。

 

当たり前のように使っていた「祭」という言葉に、そんな語源から今につながっているのかと祭の歴史やその背景を知ることができたのではないでしょうか。

ではそんな日本の歴史と伝統ある祭は海外の人からどのように見られているのか。

留学で日本を訪れ、実際に祭に参加したことで「祭の持つエネルギー」や「人のあたたかさ、国を超えた繋がり」に魅了された祭研究女子会メンバーのマリアさん、モニカさんに話を聞きました。

インタビューにて語っていただいた二人の祭への熱い想いを通して「海外から見た日本の祭」について紹介しています。

▼二人のインタビュー記事はこちらから
海外から見た日本の祭 〜From イタリア〜
海外から見た日本の祭 〜From クロアチア〜

<参考文献>
折口信夫「大嘗祭の本義」
同「折口信夫全集 二 ほうとする話 祭の発生その一」

 

(Text by 宮田 宣也・石沼 竜一/祭エンジン事務局)

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