半纏は、皆の想いを入れるための『器』 印染職人が伝える、親子の絆と祭の魅力

祭MAGAZINE

新型コロナウイルスの影響で、次々と祭が中止に追いやられたこの1年。その影響を受け、これまで祭を支えてきた、老舗の染物店を始めとする各地の伝統が途絶えようとしています。

先代から引き継いできた伝統を、ここで終わらせてはいけない。
これまで祭を支えてきた職人さんをみんなで応援したい。
そんな思いのもと、祭エンジン主催で「OYAKO祭半纏」プロジェクトを立ち上げました。これは、印染半纏を着た親子写真と祭での親子エピソードを募集し作品化して、「伝統文化を継ぐこと」の価値を世界に発信する企画です。

協力してくださったのは、全国の染物職人が所属する全国青年印染経営研究会(以下・全染研)。今回はそこから3名の職人の方に集まっていただいて、このプロジェクトの趣旨である「伝統文化を継ぐこと」について語っていただきました。今、職人の皆さんはどのようなことを考え、これからの未来にどのように伝統を引き継ごうとしているのでしょうか。

プロフィール:
亀﨑 昌大(写真・右上)
鹿児島在住。亀崎染工 5代目社長。全国青年印染経営研究会 会長。

山下 隆(写真・左上)
山梨在住。山下染物工場 4代目。全国青年印染経営研究会 会員/50周年企画実行委員長。

蜂谷 淳平(写真・中央下)
岩手在住。京屋染物店 専務取締役。全国青年印染経営研究会 会員。

 

「この先50年なんてあるもんか」

ーまずは、印染(しるしぞめ)という技法について教えていただけますか?

亀﨑:「印染」と一言で言ってもいろいろあるのですが、その名の通り、文字やマークを染め入れる技法です。代表的なのは、餅粉、糠、石灰を混ぜた防染糊で、染まらない部分を縁取りして伏せる技法。それ以外の部分を染めたあと、糊を水で洗い流し、白い部分を浮き出させます。要は、染めない部分をいかにきれいに残すか、そしていかに小さな柄まで認識しやすいよう色分けするか。最近ではデジタル染色も出てきていますが、根本的にはそれが一番の特徴だと思います。

印染を使った製品は、生活の中でもよく目にされることがあると思いますよ。例えば街中にあるのぼり旗、食堂の暖簾、鯉のぼり、今我々が羽織っている法被半纏もそうですね。あとはオリンピックで使われる国旗も、印染で元々作られていました。

ーそうなんですね! ちなみに、印染という技法はいつ頃から使われているんですか?

亀﨑:戦国時代にはもう使われていました。合戦のとき敵味方がわかるように、両家の家紋を背負って戦いますよね。あの頃から同じような技術・工程で、個別を認識させるマーク・印が、織物に染め入れられていたそうです。古くは平安時代からあるのではないかと言われています。

ただ、今のような形が確立されたのは江戸時代ごろから。桃山時代に綿花栽培が始まり、江戸時代には綿織物が産業として発展して、一般市民の間にも普及されるようになってから、現在に続くような技法が確立されたと聞いています。

ー江戸時代から考えても200年以上続く伝統技術なのですね。では、印染の現状はどのようになっているのでしょうか?

蜂谷:現状は、どこも厳しいと思いますね。全盛期は祭の案件が多くて、うちは10年前は売上の8割以上が祭関連でした。昨年と今年はコロナで中止になっていますが、それ以前に人口が減っているので、祭自体どんどん少なくなっています。祭と連動して、業界自体がどんどん縮小しているなと感じます。

僕は祭も染物も大好きなので、支えていきたい。ただ、そこだけにしがみついていては経営も難しいので、今は伝統文化や技術を生かして、異業種にもマーケットを広げています。例えばアウトドアメーカーさんとコラボレーションして、印染を使った製品を作ったり。または染物のワークショップを行ったり。これまで印染を知らなかった人たちに、染物やお祭の文化を伝えるために、新たなマーケットに挑戦しているんです。

製品を作るだけではなく、そこに含まれた職人の技、想い、歴史などの背景を知ってもらうこと。それを伝えるのってすごく大事なことなんですよね。

山下:うちも同じく厳しい状況です。コロナの影響で祭だけではなくイベントもなくなったので、それに関連するのぼりや横断幕などの注文がなくなってしまいました。

そんな中、うちでも新しいことに挑戦しています。アクセサリー業界の企業さんからある素材を染めてみてほしいと言われ、今試作を進めているのですが、それがうまくいけば販売にいけるかもなと。また、これまで染色工程をオープンにしていなかったのですが、見てもらわないとわからないなと思い、うちでもワークショップを始めました。お客さんや業者さんに直接見てもらって、知ってもらうことを今は頑張っています

亀﨑:うちも同じような感じですね。コロナの影響で定期的に来ていた注文がまったくなくなって、数字的にはとてもきついです。蜂谷さんもおっしゃっていましたが、コロナ以前に業界自体が衰退しています。廃業や倒産は聞くけれど、新規参入がまったくなくて、いよいよまずい。また僕らが使う道具を作る職人さんも、先に担い手がいなくなっています。業界だけじゃなく、業界を取り巻く人たちの生活も関わっているんですよね。

全染研は今年で50周年を迎えるのですが、以前大先輩に「さらにこの先50年、どうあるべきか意見を聞かせてほしい」とうかがったら、「この先50年なんてあるもんか」と言われました。「おいおい」と思ったけど(笑)、「このままじゃこの業界だめになってしまうよ」と言いたかったのだと思います。だからこそ最後のチャンスだと思って、しっかり頑張っていこうとしていたのですが、その矢先にコロナがやってきて、動きを封じられた気分でした。
ただ2011年の東北の震災のときも、みんな頑張って乗り越えてきたわけです。コロナも天災もどうこうできるものではありませんが、何かをしようと思うきっかけにはできる。僕たちは今後「これがあったおかげで今がある」と言えるように動くしかない

そんな中でうちは、受注生産だけに頼らず、自分たちで商品を作って小売にチャレンジし始めました。印染という技法を使って、おしゃれな商品を作り知ってもらう。それを機に、百貨店で店頭販売をしたり、ワークショップを開催したりできるのではと思っています。今後はそういったやり方を通して、生活の中に僕たちが作ったものを根付かせ気づいてもらえるようにしたい。そして「みんなで頑張ろうよ」と声をかけていきたいと思っています。

 

印染の伝統だけでなく、地域の文化も残していく

ー時勢の影響を受け業界が縮小している中、新しいことにも挑戦されていることがよくわかりました。でもそもそも皆さんは、なぜ印染という文化を引き継がれたのでしょうか。担い手になられた理由について教えていただけますか?

蜂谷:ぶっちゃけ、僕はこの仕事をしたかったわけではないんですよ(笑)。家族経営だったから、なんとなく始めたって感じで。好きな仕事というわけでもなかったので、身が入っていなかったこともあると思います。

でも、2010年に一度目の転機がありました。父に末期癌が見つかって他界したんです。そのときから、この京屋染物店を支えねばと必死になりました。二度目の転機はその翌年、東日本大震災です。あのときは「本当に終わったな」と思いましたね。祭もすべて中止になって、「このタイミングかよ」と。でも、半年もしないうちに沿岸の方から「祭をやりたいから半纏を作ってほしい」と依頼があったんです。

「何でこんなときに?」と思ったけれど、「こんなときだからこそ、祭で盛り上がりたいんだ」と。それを聞いて、半纏などの染物を援助させていただきました。それが、染め屋としての復興支援だと思ったんですね。

そのとき、初めてこの仕事の意義がわかったような気がしました。僕たちはただ商品を作っているのではなく、みんなの「想い」を形にしてコミュニティを繋いでいるんだなと感じたんです。父が亡くなったときも半纏を棺桶に入れていたのを思い出し、「そういう仕事なんだな」と。それが、初めてこの仕事を継いだと感じたときでしたね。

山下:私は逆で、小さい頃から「継いでみたい」と思っていました。深い意味はなく、ただ楽しそうだなと。いざ継いでみると大変でしたが、やっぱり作ったものを人に着てもらったりすると気持ちがいいものです。

私は休みの日にも趣味で手ぬぐいを染めたりするほどなので(笑)、単純に好きで楽しいからやっているという感じですね。だから伝統を意識して残そうとは思っていないかも。楽しいからやっている、それが積み重なることで残っていくものなのではないかと思っています。

亀﨑:僕は最初、この仕事に就くのが本当に嫌でした。現在は全染研の代表をしていますが僕くらいこの仕事が嫌だった人っていないんじゃないかな(笑)。小さい頃からずっと後継ぎだと言われて、自分がない環境のように感じていました。それで「やってられるか」と家を出たこともあったのだけど何もできなくて、結局帰ってきて家業を継いだんです。

最初はやりがいを感じられなかったのですが、30歳くらいから少しずつ、この仕事の魅力についてわかり始めました。うちは例えば大漁旗や五月の武者のぼりなど、お祝いごとに関する仕事が多いのですが、注文をいただいてこちらこそありがたいのに、逆にお客さまから「いいものを作ってくれてありがとうございます」とよく言われるんです。いい仕事だな、本腰入れてやらないとなって、その頃から思うようになりました。

その上で今は、全染研の代表を務めていますが、業界として伝統技術を残すことにも社会的な意味があると思っています。機械化が進み、職人が減り、僕たちがいなくなっても、データを取り込んでインクジェットで出力すれば同じものができるかもしれない。でも、果たしてそれだけで本当にいいのでしょうか。どっちがいいとか悪いとかではなく、棲み分けをしないといけないなと思うんです。

祭の衣装ひとつにしても、なぜその色でその絵柄だったのか? お祭り当事者の方々も知らなかった歴史や想いを、染め屋がいることで紐解いていけるかもしれない。印染の伝統だけではなく、それが関わる地域の文化も残していく。そんな役割を担っている以上、僕たちは知識や技術を引き継いで、本物を提供し続けないといけないと思っています。

 

染物を通して、人の想いを形にしている

ーそれぞれの想いを持って引き継がれた印染ですが、それを通して、どのように祭に貢献していきたいと思っていらっしゃいますか? 皆さんにとって「祭」とはどういうものかも、合わせて教えてください。

蜂谷:物心ついたときから、ずっと祭がそばにありました。僕は地元が大好きなんですが、地元を出ていった人も、祭に参加するためにここに帰ってくるんですよね。そして、家族や世代を超えて繋がることができる。だから、それが中止になった今強く感じるのは、祭とは「コミュニティを繋いで地域を育んできたもの」だったんだなということです。

そんな祭に対して、染物を通してできることって何だろう、とよく考えます。人は染めなくても生きていけるのに、どうして100年も200年も染め続けてきたんだろう?と。多分それは、染物を通して人の思いを形にしているからではないかと思ったんです。

最近うちの子供が初節句を迎えて、父が「たくましく育つように」と鍾馗(しょうき)さんの幕を染めてくれました。あれこそ、半纏を作ってる時の思いの根源だなと思います。その人の幸せや健康を願う気持ち、先人たちの想いを、形として残す。それを僕たちは染物という形でやっているんじゃないでしょうか。

祭自体、豊作や安全を願うためにみんなが集まり確認し合う場ですよね。そこにいるみんなの想い、そこにいた先人たちの思いを、印染で半纏という形にして、同じものを纏うことで共有しているんだと思います。

山下:僕も、祭って「地域のコミュニケーション」だなと思うんです。地元の祭だけでなく、他の地域の祭に参加するのも楽しいじゃないですか。祭って地元の人たちだけでなく、お客さんにとってもその地を知ってもらう場づくりな気がします。

要は祭って「楽しめる場所」なんじゃないかな。今は2年連続で祭が中止になっているけれど、このプロジェクトのために「親子で半纏姿の写真を撮りたいから協力してくれ」って言ったら、みんなすごく楽しんじゃって。来年はぜひ祭を再開したいとより強く思いましたね。

そういうみんなが楽しめる場の顔になるようなものを、僕たちは作っている。だから、みんなが本当に満足できるものを作っていきたいなと思っています。

亀﨑:二人が言うように、まさに祭ってみんなの拠り所だと思います。それを介して仲良くなったり、出会いがあったり、帰ることができたり。今改めて、祭ってこんなに大事だったんだなぁと実感しています。

僕らができることは、その祭の中で引き継がれてきた昔ながらの染物を、しっかり守っていくことじゃないでしょうか。実直にこだわりを持って作ること……ただ、そこに僕たちの想いは必要ないと思うんです。僕たちが作っているのは、それを贈る人や着る人の想いを入れる「器」。これなら自分の大事な想いを込められるなって思ってもらえるものを、僕たちは作っている。だからこそ僕ら職人は、ただただ無心で染め上げ、本物を作り続けないといけない。そのように作ったものを通して、祭に貢献できたらいいなと思いますね。

ーありがとうございます。では最後に、今回の「OYAKO祭半纏」企画に期待していることを教えていただけますか。

蜂谷:
これをきっかけに、祭に参加する人が増えてほしいですね。同じものを纏うことで、親子の絆や祭の魅力、「願う」文化を伝えていきたい。それら全部含めて、「日本人ってやっぱりかっこいいね!」と思う人が増えるといいなと思います。

山下:
僕もですね。今まで祭に参加していなかった人も、これを機に参加してくれたらいいなと思います。普段見落としている、親子間の感謝の気持ちを見返すきっかけにもなったらいいなと。

亀﨑:
僕は、みんなで一緒に元気になりたいですね。僕らの業界のことを知ってほしいのももちろんあるけど、今、みんな疲れているじゃないですか。だからこの企画を通して、ただただみんなで元気になりたい。そのきっかけになればいいなと思います。

「みんなの想いを形にして、同じものを纏うことで共有している」

人と会えず集まれない今だからこそ、その言葉が深く響いてきます。画面越しに見えるそれぞれの半纏が「またいつか会おう」「祭を再開しよう」……そんな願いを共有する証のように見えました。

祭を支える人を応援する「OYAKO祭半纏」企画。このプロジェクトが、そういった想いの共有、そして絆の再確認ができる機会となるよう、祭エンジンは願っています。

(Text by 土門 蘭)

▼OYAKO祭半纏企画 第一弾「祭×親子コンテスト」について詳しくは、こちらから
https://matsuriengine.com/article_list/287/

▼全国青年印染経営研究会ホームページ
(※印染商品のご注文は、「会員紹介」のページから、お近くの染物店にお問い合わせください。)
https://www.zensenken.org/

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