「祭」STORY
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徳島県美波町
綺麗ごとだけでは次世代に繋いでいけない。
地域が一丸となって大好きな祭を守るため、仲間と挑戦を続ける。
日和佐八幡神社の神主、永本嘉彦さん。宮司である父の勧めで大学卒業後すぐ神職に就きました。
幼稚園の時からお供でちょうさに乗り、小学生で子供みこしを担ぎ、中学生で打ち子として太鼓を叩き、高校生からちょうさを担ぐなど、子供の頃から大の祭好きです。
神主という新しい立場で祭に関わり始めた22歳から「いつこの祭がなくなるのか」という危機感は常に頭にあるそう。
このまま何も手を打たないと祭がなくなっていくことは明らかだからこそ、自分たちの手でどうやって次世代につなげていくのかを考えてきたと話してくれました。
日和佐の祭は、抑揚のある太鼓のリズムに合わせ、「さーせー、さーせー」の掛け声、そして何台ものちょうさが大浜海岸になだれ込む姿が壮観です。このちょうさと呼ばれる太鼓屋台は町内会ごとに8台あり、それぞれ約50~60人で担いでいます。
「この景色を毎年続けていきたい。」
祭を存続させるために必要なことは、人員の確保です。
美波町全体でみると平成元年には1万人程いた人口が現在では6,600人に減少。2050年には3,000人になると言われており、祭に参加する人の数も減っています。
担ぎ手や太鼓の打ち子不足という課題に直面し、永本さんは仲間と共に新たな組織作りを始めました。
「まず、日和佐が一丸となるために。」
日和佐では町内8地区それぞれが太鼓屋台”ちょうさ”を所有し、各町内会が独立して運営してきました。しかし、急激な過疎化とさらなる人口減少を見据え、平成22年に町内の有志により”日和佐ちょうさ保存会”を設立。永本さんは立ち上げメンバーの1人です。
町内会を越えて祭を守る組織づくりは、大きな挑戦だったといいます。現在は、8地区外の子にも太鼓を教えるための子供太鼓教室を開いたり、フォトコンテストの開催で写真で祭の魅力を届けたり、カレンダーを販売するなど、町内会同士をつなげつつ、外に向けて祭の魅力を伝える活動を積み上げています。
日和佐ちょうさ保存会ではちょうさの担ぎ手を地域外からも募る仕組みを作りました。近隣大学の留学生には文化交流の一環として祭を紹介したり、他にも県内企業や県職員などに声をかけたり、毎年50名を超える人が参加するようになりました。初めて参加する人には赤色のハッピを渡し、地域の人みんなでフォローできる工夫も。初めての人も安心して、共に祭を創る一員となっています。
「祭に初めて参加した人の笑顔を見ると嬉しくなる。ぜひ一度、日和佐でちょうさを担いでほしい。皆で祭を創りあげる楽しさを感じて欲しい。」と、永本さんはいいます。
この取り組みは、人手を得るだけでなく祭や地域の魅力を体感することにも繋がっています。
「日和佐が直面している課題は、全国の過疎地も抱えているのでは。」
永本さんは同じ課題を抱える他地域の人と出会い、一緒に解決策を考えていける場を求めていました。
誰も何が正解がわからないからこそ、仲間とつながることに価値があるといいます。
この祭エンジンと関わることで、日和佐ちょうさ保存会、そして地域の若手たちが全国各地の同志とつながり、ともに過疎化にあがいて、祭文化を盛り上げていきたいと話してくれました。
日和佐地区は、海、川、山の三拍子が揃い踏み。美しく、そして何処か懐かしい景色が拡がっています。
特に日和佐八幡神社の横から一面の海はウミガメの産卵地であり、伊勢海老漁も盛んな場所。地域の人たちの心の拠り所として、愛され、守られています。
「日和佐を応援してくれる方には、とっておきの一品を。」と用意してくれた返礼品は、”伊勢海老”です。
全国各地から「日和佐の伊勢海老が食べたい」と指名で予約が殺到するほどの隠れた人気商品とのこと。ご注文から発送までの日付は漁次第。お約束できず心苦しいですが、とっておきの一品と共にぜひ食卓で日和佐を感じていただけると嬉しいです。
(加工食品は在庫があれば早めの出荷が可能です)