「約束の日」のために、日々を大切にする

祭MAGAZINE

様々な視点から祭を研究し、祭の魅力を再発見する「お祭研究女子会」が発行する「まつり結び新聞」第1号の中から、今回は一般社団法人 明日襷代表理事、祭エンジンの代表でもある、宮田宣也さんへの取材記事をご紹介します。

▼まつり結び新聞 第1号
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宮田さんは自他共に認める、祭、神輿好きで祭に人生をかけている人です。そんな宮田さんがどのように祭を見て、これまで向き合ってきたのか、お話をお伺いしました。

祭を大切に思っていた祖父

Q. 宮田さんは職人さんの街で生まれて、常に日本文化を意識する環境で過ごされたと思います。祭、神輿に心を持っていかれた瞬間はいつなんでしょうか?

今でこそ、私も祭や神輿の魅力に取り憑かれた一人ですが、以前は全国にいる祭好きを取り憑かせる魅力はどこにあるんだろうという疑問を持っていました。
この疑問が晴れ、祭や神輿にのめり込んだのは、祖父の存在が大きいと思います。

それは祖父がまだ生きているときのことです。晩年、祖父は脳梗塞になってしまい、右半身が動きづらくなってしまったんです。それでも動ける時はいろんな祭に行っていました。でもその頃はもう祖父は神輿を担ぐよりも、現場に挨拶をして、酒を飲みながら祭を楽しむような参加の仕方でした。

ある大船の祭に参加した時のこと。私と一緒に歩いているときに、祖父が神輿に右肩を入れたんです。

私は祖父が神輿に右肩を入れているのを初めて見ました。というのも、神輿は右側で担ぐのが人気で、そちらに人が集中しがちなのですが、祭に貢献したいという思いから、祖父は神輿を左側で担ぐというプライドを持っていました。

左側が空いていなかったのか、右側がよかったのかはわかりません。脳梗塞で右肩は不自由なはずなのに、目の前に神輿があって担ぎたいという気持ちが起こったから肩を入れる──あぁ、この人は本当に祭が好きなんだ。理屈のない世界がそこにはあるのだと感じ、涙が出るくらい震えたのを覚えています。

それまでも、祭が好きだと言って神輿を担いだり、酒を飲んだりする姿を見てきて、いいなと思っていたし、そんな雰囲気が好きでした。それでも、不自由なはずの体がスッと動く祖父の姿を見て、祭が人の原動力になっているんだなと感じた瞬間が、私が祭に心を動かされた瞬間です。

祭はその日しか出会えない自分に出会える場所

Q. 宮田さんは全国各地の祭に参加したり、神輿を海外に持って行ったりと色々な祭に参加してきたと思います。神輿職人さんであり、担ぎ手でもある宮田さんからは祭はどう見えるのでしょうか?

祭に対する考えは人それぞれだと思いますが、私がいろんな祭に行っていいなと思うのは“人”ですね。

祭に参加している、そこで生まれ育ったおじさんたちは、きっと子どもの頃から仲がよくて、時には一緒に悪戯をして成長してきたと思うんです。

それにずっと住んできた土地や祭が好きで、その日を楽しみにしながら守ってきて、祭の日にはここぞとばかりに大騒ぎをしている。

そして自分が年を重ねて、若い人が入ってくれば温かい目で見守っている。そういう縦と横の繋がりがその日に上手く働いて、神輿が上がるんです。私のような外から来た人も、縦と横の合間に快く受け入れてくれる。そこに絵も言われぬ感覚があるんですよね。単純な心地良さや楽しさだけではなく、祭が好きだな、生きていてよかったな、と思う瞬間に祭は出会わせてくれるんです。

私は全国の色々な祭に参加してきましたが、何回も行くところがあれば、一度きりのところもあります。何回も行くような祭は、その土地の人たちが作り上げるその瞬間にしか出会えない自分に会いに行っているんです。

私は今、オミヤクリーンなどを通して祭の魅力や面白さを伝えたいなと思って、活動をしているのですが、中には一度も祭を経験したことがないのに情熱を注いでくれる人たちがいます。人口が減っていたり、人はいても祭に参加する人がいなかったりする中で、こういう人たちの存在は、日本全国を見ても希望だと思うんです。

そういう人たちにも、その日にしか出会えない自分に出会って欲しい。その人たちに「生きていてよかった。祭が好きだ。続けていきたい。」と思ってもらえるかは、私の勝負だと思っています。

先人たちが守ってきた大切な祭で一生、神輿を担ぎ続け、次世代に繋げたい

Q. 今までのお話しからもわかるように、宮田さんは祭に対しての思いが強い方だと感じます。宮田さんの祭に対する信念について教えてください。

春日神社の祭りに関しては、やっぱり私の目の黒いうちは絶対に神輿を上げ続けるという覚悟で望んでいきたいと思っています。たくさんの思い出をもらっている場所の、一番大切な日である祭では最後の最後まで神輿を担いでいたいんです。

それはただ祭が好きだということだけではありません。私もその土地で育ってきましたから、祖父や祖母、親戚たちが命懸けで祭や神社を大切にしているのを見てきました。

私たちが見ている世界よりも以前に、その土地を大切にしてきた人がいて、そこで清掃活動をさせてもらって、たくさんの出会いがあって……やはり、その原点には春日神社があるんです。

自分が横浜を離れている今も、どんなことがあっても大切にしたいと思っていますし、自分ができることに全力で取り組み、春日神社をもっと素敵な場所にした上で子どもたちに伝えていきたいと思います。

毎日安全に暮らせることも、ゴミが落ちていないことも当たり前じゃない。誰かが掃除をしてくれて、綺麗にしてくれているから幸せに生きていられるんです。

そうした思いを感じる場所が、私にとっては春日神社ですが、人それぞれに自分たちの故郷があります。自分たちを取り巻く環境に感謝しながら、自分たちの故郷をもっと幸せにしていこうと行動できれば、今を生きている人たちの明日も、次の世代が過ごす日々も明るいものになるかもしれません。

祭ができないからこそ、気づいた「ケの日」の大切さ

Q. いつもの祭ができない今、宮田さんは普段何をしているのですか?

新型コロナウイルス感染症が流行り出して、祭ができなくなってしまったからこそ、祭以外の日──ケの日の大切さを伝えるチャンスができたと思います。

ケの日の活動で今一番頑張っているのはオミヤクリーンという神社清掃なんですが、この活動はコロナ禍にならなければ、ここまで広がらなかったものでした。

実はオミヤクリーンは友人と二人で始めたものなんです。その当時……令和元年の神輿の日は台風の予報が出ていて、雨が降ったら危険なので、中止という決断が下されました。しかし当日は快晴。年に1回、その日に全てを掛けていた自分にとってとても悔しい出来事でした。

それまで、亡くなった祖父は1年に1回神輿が上がり続ければ、喜んでくれるはずだし、思いは届くはずだと思い神輿を担いできましたからね。

しかしふと思ったんです。神輿に人生を掛けたがゆえに、私が辛い思いをすることを祖父は望んでいないだろう、と。

そこで、もう1年頑張って、来年最高の神輿を担ぐことができるようにという思いで、友人を誘ってオミヤクリーンを始めたんです。
地道に清掃活動を続け、年が明けた2020年正月。鳥居の脇にあったゴミを片付けた時、そのゴミの下から水仙が生えていることに気づいたんです。

世の中はコロナ禍で慌ただしく、私は絶望しているけれど、そんなことは関係なく、一つの命が神社の中で一生懸命生きている──ネガティブな気持ちから始めたオミヤクリーンでしたが、神輿を上げることだけが全てじゃないと思いました。

そうして、オミヤクリーンで春日神社やいろんな人に貢献できると気づいてからは、友人を誘って、仲間が増えていき、楽しんで活動してもらえることが私自身も嬉しくて。そんな多くの人が春日神社を大切にしている姿はご先祖様にも誇らしい気持ちでした。

それに、一緒に参加していた小さい子が楽しそうに遊んでいる姿が私の小さい頃に重なったんです。子どもの頃の私は楽しく神社で遊んでいただけだったけれど、気づかないだけで同じように清掃してくれていた人がいたんじゃないかなって。きっとこういう風景は私が生まれる前から続いているもので、それを自分が再現できたのが嬉しかったんです。

そして、オミヤクリーン活動を始めとして、コロナ禍で出会った人たちといつか祭ができると考えると、今まで以上に何倍も楽しみになりました。それはケの日を充実できたからなんですよね。

コロナ禍が一つのきっかけになって、なんのために祭をやるのか、なぜ神社があるのかを考えるようになりました。

きっと今、祭や神社が残っているのは、先人たちがその時々の最適解として残してくれた結果です。それに感謝しながら、残してくれたものを次の世代にどう繋いでいくのか……「神社っていいな、大切にしたいな」と思える状態を作った上で、次の世代にプレゼントしたいですよね。

そのためにも、今あることに対して真摯に向かうことが、祭の無い今、できることだと思います。

日々を大切にすることで「約束の日」が最高の1日になる

Q. 今後、祭にどうなって欲しいと考えていますか?

祭は全国の色々なところにあって、その土地に住む人たちが自分の祭に対してどうなって欲しいかは、人や土地によって違うので、一概に「祭」という主語では言えません。

しかし、多くの人に伝えたいことがあります。今は祭がなくて寂しいけれど、祭の日を楽しみにしながら今できることは、たくさんあると思うんです。祭の日だけを楽しむのではなく、祭のために残りの364日を充実させて、祭というハレの日を迎えられればと思っています。

そんな風に、祭の日のために考え方を少し変えてもらえれば、祭の日も、なんてことない毎日もキラキラした宝物に磨き上げることができるんじゃないでしょうか。

Q. 宮田さんにとって祭とはなんですか?

私の中には明確な答えがあって、祭の日は全国から集まってくれる仲間や、ご先祖様、土地の神様との「約束の日」なんです。

何か形にしたわけでも無いのですが、祭の日にはみんなが集まって神輿を担いで、最高の1日を作り上げるという約束を守りにいく。そういう日ですね。

この約束を一番果たしたいと思うのは、祖父に対してですが、もちろん祖父だけでなく、縁あって出会った人たち一人ひとりとその約束をしているつもりです。そして一人ひとりがそう思ってくれれば、必ず神輿は上がるはずなんですよ。

時空を超えて、みんなで約束を果たす日。ケの日を充実させて、祭の日を迎え、最高の祭ができたなら、仲間たちや祖父母を含むご先祖様、そしてこれからも祭を続けて欲しいと思っている全ての人との約束を果たせるのではないかと思います。

宮田さん、ありがとうございました!

取材時、インタビュアーや立ち会ったメンバーが宮田さんの熱い思いに思わず涙したというエピソードがあります。それほど心震わすような熱い思いを聞くことができました。
宮田さんにとって祭はまさに「生きがい」であり、そんな祭ができない日々と、祭が失われてしまう危機の中、現状をポジティブに受け止め活動されている姿に勇気をもらいました。
祭という約束の日のためいつも通りの日常を大切にし、私たちも活動したいと思います!

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(Text by 利根川 舞・角屋 桃子/祭エンジン事務局)

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